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​​原 大湖

DAIGO HARA

 埼玉県出身。小学2年生の時に芝jrで当時監督を務めていた祖父からソフトテニス道具を譲り受け、芝jrへ入団した。小学生の頃から活躍をし、成長しながらソフトテニスをより極めたいと考え、千葉県に在る昭和学院中学校に入学。練習に熱心に取り組み、1年生からチームに貢献してきた。しかし、肩の故障や、それに伴う精神的ダメージにより長期のイップスを経験。ソフトテニスから距離をおきたいと思うだけでなく、生きる価値を見出せずにいた。中学生最後の大会は県大会初戦敗退。ソフトテニスに対し恐怖心を持った。高校は、中高一貫校であったこともあり、内部進学。ソフトテニス部に入部した。1年生の時からレギュラー入りを果たしたものの、イップスから抜けることはできず思うような力は出せずにいたが、2度全国大会へ。なんとかしてイップスから解放されるためにと、様々な工夫を凝らすが、解放されることなく高校2年、3年へ。その頃までにやる気はほとんど失い、練習試合、公式戦でも緊張することが無くなってしまった。だが、それが良い方向に進み、気がつくとイップスはなくなっていた。最後の最後で結果もついてくるようになった。辛いことも多かったが、技術だけでなく、精神的に成長することができた3年間であった。その後大学受験へ。しかしそこで3度の挫折を経験する。入学後、挫折を何よりもの糧とし、これまでの結果に捉われず、成功したいと意識し始めた。自分の名を誰もが知る様な人物になるという理由でお金持ちを目指し、起業を考え金融関連の勉強を始めた。しかし「お金持ちになったところで有名になれるのか」と考え、人のためになることとは何かを自問自答した。そこでこれまでの自分の人生の中心はソフトテニスがあることに気づいた。イップスを経験し、人間性を育ててくれたソフトテニスに恩返しをしたいと心の底から思った。プレーをするきっかけを与えてくれた祖父への感謝の気持ち忘れずに、多くの方々に人生への可能性や幸せを感じてもらい、明るい世界を創るきっかけつくりをする。その様な思いでBIGCONCの一員として努力を続けている。

 

戦績

〈中学〉

千葉県大会個人 優勝

          ベスト8

関東大会個人 第3位

全国大会個人 出場

〈高校〉

千葉県大会団体 準優勝(2回)

     ベスト4

     ベスト8

関東大会個人 第5位

         団体 ベスト8(2回)

インターハイ個人 出場

全国私学大会個人 ベスト16

全国選抜大会団体 出場

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​木村 陸

RIKU KIMURA​

 茨城県出身。2歳から水泳を始め、中学2年生まで約11年間続けていた。だが、中学校入学後にソフトテニスと出会い、人生が大きく変わった。監督の指導の熱意に惚れ、いつしかソフトテニスに熱中していた。しかしこの年、茨城県は激戦区であり、そう簡単に勝ち進むことができなかった。練習を積み重ね、次第に県内強豪校に勝利する様になった。迎えた3年生最後の大会。県大会2回戦まで駒を進めた。中学から始めて3年間。そこまで行けたことはとても嬉しかった。その大会直後、昭和学院高等学校からお誘いを受け、進学を決意した。始めは練習のレベルの高さの違いや通学に慣れるまで時間がかかった。それでも通わせてくれている両親のためにも、自分で進学を決意したからこそ必死になって練習に励んだ。1年生の冬にはレギュラーとなり、全国選抜大会出場を果たした。だが、団体戦で起用されるチャンスをなかなか掴むことはできなかった。技術もだが、肝心なところで焦りが出る精神面が劣っていたからだ。それから技術だけでなく自分と向き合う時間を大切にし始めた。代が変わり、モチベーションはさらに向上していた。しかし夏休みに不整脈の病気になり、その中でも重症な状態だったため練習をすることができなかった。初めて大きな病気にかかり、選手生命を危ぶまれ、気持ちの整理がつかなかった。その苦境を乗り越えられたのは家族やソフトテニスで出会った仲間の支え、ソフトテニスから学んだ「諦めずに挑戦することの大切さ」の精神が支えとなった。手術・リハビリを乗り越え3月にはチームに合流し、練習を再開した。そして団体戦で起用されるまで力を取り戻した。中学1年生から始めた競技で全国まで勝ち進むことができた。また、チームで支え合うことの大切さをプレーだけでなく命そのものから体験することができた。ソフトテニスはダブルスが主流であるため一人では勝てない。技術だけでなく、仲間を思いやる気持ちを学べることをもっと多くの方に伝えたい。そんな思いを抱き、現在は母校で指導をしている。また、BIGCONCという新たなチームの一員としてソフトテニスを世界に広めるために精一杯取り組む意志だ。

戦績

〈中学〉

茨城県大会個人 出場

〈高校〉

千葉県大会団体 準優勝(2回)

       ベスト4 

      ベスト8

関東大会団体 ベスト8(2回)

全国選抜大会団体 出場

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​齋木 菜々花

NANAKA SAIKI

 千葉県出身。小学2年生の時に父の影響からよつばSTCに入団。中学は横芝光町立横芝中学校に入学。1年時は怪我に苦しみ思うような結果はついてこなかった。2年生の秋から千葉県内では負けなし。関東では常に上位に君臨していた。だが、この3年間で日本一にはなれなかった。高校では日本一を狙う!そんな想いで昭和学院高等学校へ進学。入学直後から大活躍した。しかし、チームは団体戦で長年千葉県でトップにいたが、決勝で負けてしまった。大きな責任を感じ、更なるレベルアップを目指した。だが、結果はそう簡単については来なかった。特に団体戦で勝てないことが大きな課題であると痛感。模索していく中で、試合への考え方やメンタルなど、自分と向き合う時間を多く作った。2年生になると再び県のトップに立ち、関東でも上位へ。本来の実力を発揮できるようになってきた。その後、自分達の代となり、日本一を果たすために、キャプテンとしてチームを牽引した。しかし、再び団体戦で勝てない時期が続いた。チーム・自身のことを再度見直し、考え込んだ時期を経て3年生へ。そして、県のトップに立った。全国大会でも上位まで勝ち進んだ。しかし、日本一を獲ることはできなかった。日本一は遠い様で近く、近い様で遠く感じた。だが、高校3年間で全てのことを論理的に考える様になり、考え方が大きく変わった。勝つ楽しみだけでなく、体の仕組みや試合の展開をきちんと理解した上で試合が出来る様になったことが、楽しく感じた。また、団体戦で、一緒に練習してきたチームメイトと闘えたことは何よりの楽しみであった。だが、今も自分の気持ちの弱さを克服できていないと感じている。大学という新たなステージで新たな仲間と再び日本一を目指し努力を続けている。また、これまでソフトテニスから学んできた経験を多くの方に体験して欲しい。ソフトテニスへの恩返しも込めて、BIGCONCのメンバーとしてソフトテニスを広める活動を進めている。

戦績

〈中学〉

千葉県大会個人 優勝(2回)

        団体 準優勝

関東大会 個人 ベスト8

   団体 優勝

全国大会 個人 ベスト16

   団体 第5位

〈高校〉

千葉県大会個人 優勝(6回)

            団体 優勝(6回)準優勝(1回)

関東大会 個人 優勝、ベスト8

インターハイ個人戦 ベスト8(2回)

       ベスト32

ジュニアジャパンカップ ベスト4

皇后杯 出場(2回)

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​​吉村 悠玖

HARUKI YOSHIMURA​

 東京都出身。小学3年生から野球をはじめ、地元の軟式野球チームに入団した。すぐに野球を惚れ、熱心に取り組んでいた。中学校入学後野球部に所属した傍ら、強豪クラブチームに入団も決めた。レベルの高い環境で自身を酷使し、全力で練習をした。その結果、1年生からレギュラーとして活躍し、チームに貢献した。そのまま高校でも野球を続けようと考えていたが、教師になる夢があったため、進学率の高い昭和学院高等学校に入学。野球から離れ、あえて全国的に強豪で有名なハンドボール部に入部した。新たな環境に身を置き、全国大会に出場したいと思ったからだ。しかし、自分だけが初心者だったため、練習について行くだけで精一杯だった。だが練習すればするほどハンドボールの魅力に惹かれ、熱心に取り組んだ。その成果が実り2年生からベンチ入りを果たすことができた。また、新チームでの最初の試合では県大会優勝に貢献した。だが、その後は、チームを引っ張る責任と、うまくならなければならないという焦りが出てきた。そうしているうちにレギュラー枠は後輩に取られた。悔しい思いはあったが、自分の役目を考えることができた。この3年間の経験で挑戦することの大切さと、周囲の役に立つために何ができるかを考えるきっかけになった。現在は教師になる夢を叶えるために大学で勉学に励んでいる。また、野球サークルに所属している他、クラブチームでハンドボールを続けている。さらに、人生3種目目の新たな挑戦としてソフトテニスをはじめた。次は全国ではなく世界を目指し、BIGCONCの一員として精一杯邁進する。

戦績

〈中学・野球〉

東京都大会 第3位

IBA国際大会 第4位

〈高校・ハンドボール〉

千葉県大会 優勝(2回)

関東大会 ベスト16(2回)

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